時に私は死にたい
時に私は死にたいと願う。
なぜなら自分が怠ける以外の何物もないくらいに怠惰だからだ。
幼い頃から肥え、サボり、挙句にそれを覆うように嘘ばかりついてきた。
嘘をつき続け、サボり続け、人の期待を裏切った私が最近行ったことは「カウンセリング」であった。
20数余年、ひたすらに怠惰を尽くした私はいざ清算をせねばとなったときに病気を理由に専門職に助けを縋ったのだった。
これは許されるはずもない。
許されるはずもないからこうして苦しんでいる。
じゃあ今からでもやり直せばいいではないかと仰る方がいるだろう。
そんなのでやり直せるくらいなら私はせめて中学生の時にやりなおせていただろうとしか言えない。
毎日、毎日、「明日はきちんとしなきゃ」「明日は部屋の掃除をしなくちゃ」「明日は勉強をちゃんとしなくちゃ」と思い続けたくせにまともに行動に移していない様を見て人は何を思うだろうか。
自己責任、だ。
バイトも大学の勉強も就職試験の勉強もインターンシップも満足に両立していない私に人は何というか知っている。
―――自己責任。
だから私は自分の責任において、責任を取らないといけないと考える。
国はこっそり希望を出した老人をうまく安楽死させるべきじゃないか
自分は58歳までに死にたいんです。
定年前だから家族も会社の人も葬式には来てくれるだろうし、働いている分誰かのコストにもなりません。おそらく認知症にはなっていないだろうし、ボケて偏屈に孤独になる前に「早すぎるけどなんだかんだいい人だったよね」って感じで逝けるわけです。
70とかまでは生きたくないんですよ。でも生きちゃうでしょうね。私たちの世代の平均寿命は100歳ほどだと予想されていますから。いやいや、100って。ボケて、医者にお世話になりながら、あちこちが悪いと生きながらえる。尊厳なんかあったもんじゃありません。
だから58までに死にたいんです。そんな時に安楽死です。大切な人に別れを告げて薬を注入してホスピスでご臨終。これは自殺じゃないですか。周りはそう思うわけじゃないですか。
眠ったらぽっくり逝ってるのがいいんです。
だから国がどうにかやってくれねえかなぁって思ってます。
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死にたい死にたい
パソコンの前から立ちたい、尻が椅子についていられないほどの焦燥感を感じる
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死にたくなっちゃうな~
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるどっかーん!
もう遅い
最近、「忘れちゃうのはメモを取りなさい」とか「○○さんちのお嬢さんも大学時代そう悩んだって言ってたよ」とかアドバイスをしてくれます。
ありがたい、ありがたい。けどもう遅いんですわ。
生まれて20いくばくか、ずっと整理整頓ができない、物を無くす、集中が続かないってずっと悩み続けてきましたわ。
貧しい中育ててくれた親だから「死にたい」って今年の1月くらいからずっと悩んでたってことも言えませんでしたわ。
いまさらメモだのの工夫言われてもとうにしていること、いまさら「他の人もそうだよ」と言われてもその思考は何週も何週もしたこと、手を差し伸べるのが5年遅かった。
今まで放置していた、社会に許されていた私のバグが、致命的な欠点として機能し始めちゃったんですよ。
前も書きましたけど危うく退学でした。バイトに学業、公務員試験に民間就職、それに加えて人間らしい火事などエトセトラエトセトラ。
この両立が、一つでも致命なのに、難しい。
だから大学カウンセラーのところに行ってるんですよ。
恥も外聞もなくボロボロ泣きわめいてるんですよ。
結局ね、自分が障害者の親になりたくないんですよ。
カウンセラーにかかった話
最近、死にたいと思うことが多くて、あまりの自分のできなさに絶望して、とうとう大学内のカウンセラーにかかりました。
困ってることとか相談してたら、カウンセラーの人も言葉を選ぶ感じでたどたどしくて内心大丈夫かって思ってました。私はできるだけわかりやすく伝えようと平熱で受け答えをしていて、「無駄だったなぁ。相談したとて悩みなんて解決できるわけないし、この調子であと30分ってきついぞ」なんて思ったりしてました。
ふいに「なんで公務員になりたいの?」って聞かれて、「昔貧乏で苦労したから家族を安心させたい」って言おうとしました。
言おうとしたんですがどうしても涙が止まらなくなって、何回も自分を落ち着かせようと試みたんですがもっと涙が止まらなくなって、そのうち嗚咽なんかしちゃったりして、このことを言うのにものすごく時間がかかりました。
正直、このネタというか話題ってゼミの入室試験とか行政のインターンとかでいろいろ使っていたので、こうやって自分が泣くほどに深く心に突き刺さっていたものなんだって思いもしませんでした。
そこからは昔からずっと注意欠陥とか集中力の不足で困っていたこと、ゼミで対人関係に悩んでいること、マルチタスクができないこととかで予定時間を大きく超えた1時間半も相談することとなりました。
そんなわけで来週も行きます。
そうそう、早い段階でカウンセラーに「あなたADHDだと思う」って言われたときはがっかりしました。内心そうじゃないかって思ってたし、内心そうであってほしくなかったし、何より親を「障碍者の親」にする申し訳なさ。友達と冗談交じりに「ガイジwガイジw」言い合ってたし、そうなんじゃないかなってずっと思っていたけど、やっぱりショックですよね。
相談したところで何も変わらないと思っていたけど希死念慮ってだいぶ収まったわけで、家族にもなかなか正直に相談できないことを相談できる相手って大切だなと思いました。
人の心に毎回毎回寄り添うカウンセラーって大変だなぁって思いましたね。私なんかだともうできないもので、人格的に優れていないと全くできないことなのではないかと思います。
そういえば中学時代もカウンセラーのところに行っていたことを思い出しました。トラブルの渦中にいる人間だったので、どうしようもないから相談室か図書室にしか居場所がなかったんです。そのころから日常に障害をきたしていたんでしょうね。