希死念慮のピーク(読まなくていいです)
現在、スマホを手放すと「死にたい(=人生をやり直したい)」の希死念慮が襲いかかってきます。
シャワーを浴びてる時とか、料理を作っている時とかヤバいです。死にたい死にたいって口に出してます。
客観的に見たら詰んでいる人生ではありません。幸せな方の人生。確かに貧しかったけど、風呂(銭湯)に週1しか入れなかったこともあったけど、周りに支えられ幸せに生きてきました。
でも死にたいんです。
こんなに幸せなのに死にたいんです。
幸せなうちに死にたいんです。愛情を注いでくれた親、家族、恩師、友達の期待を裏切るのが怖い。
成功してる未来の軌跡が描けません。
直近のでかいやらかしは冷静に考えれば1回。これも夢である公務員への道を閉ざすものではありません。サークルやインターンなど他の人より活動してきた、その自負はあります。冷静に考えると全然平気。
なのに人生がダメって気がするんです。私はもう死んだ方がいいんじゃないかって。
昨年、サークルを運営した時「死にたい」と相談してくれる子がいました。その時に紅茶を奢り「あなたは話を聞く限りすごく幸せだし、人生もこれからじゃない」なんてアドバイスしていました。内心「死にたいって悲劇のヒロインごっこかな」なんて思いながら。
そんなちゃちなもんじゃ断じて無い。この(その)希死念慮は本物です。
ごめんなさい。
周りはこんなにも未来を見て行動してるのに、私は過去を見てグチグチ。
ごめんなさい。
この希死念慮には記憶があります。大学受験の直前です。周りと比べ、筆を持たず絶望して、夜な夜な咽び泣く日々。その時も何とかなり、記憶を忘れるが如く明るく大学で振る舞ってきました。
流した涙の数は多いはずなのに、その味を、痛みを忘れるような人間だからこうなんです。嫌な記憶は封じ込め常に逃げる。でも封が浅いからすぐ思い出して、時系列ぐちゃぐちゃで記憶が混在し絶望して「死にたい」とつぶやく。
いつもの流れ。
他者から見たら「痛いやつ」、「絶望してる『風』」、「悲劇のヒロインごっこ」、過去の自分の思考がブーメランのように抉ってきます。
死にたいという自意識、「痛い」やつでいたくない自意識、色んな意識がぐちゃぐちゃです。
書き殴ったらだいぶ冷静になりました。
希死念慮との戦いはまだ続きそうです。